アコギな雑感

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「ぶっかけ」は讃岐うどんか?パート2

新規参入店や県外店がことさらにとりあげる「ぶっかけ」というメニュー。今や讃岐うどんを代表するメニューだが、実はお向かいの岡山県倉敷市に起源があるという話。香川県の老舗のうどん屋は、決して「ぶっかけ」を全面に押したりはしない。新規参入店も県外店も、もう少し考えてからしゃべらんと恥かくでぇ。と、ここまでなぐり書きしてしもた。その続き。

パート1はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/jeepkotani1968/18941269.html

その後、ちょっと気になって調べてみた。江戸時代、そばにそばつゆをかけた「ぶっかけそば」というのはあったらしい。『恐るべきさぬきうどん』にも登場する「麺聖」によると、「そばの世界では「かけ」はぶっかけが縮まったとされているらしい」とのこと。

その麺聖はあまり評価していないが、香川の老舗のうどん店「源内」の親父さんが書きつづる「うどん小話」。その二十三話では、「ぶっかけ」という語がわざわざ「ぶ」という接頭語をつけた下品な言葉で、三十年前(1960年代)には「ぶっかけうどん」というものはなかった、と記されている。

この言葉の問題は、僕も気になっているところ。そもそも、讃岐弁には濁音の接頭語はそれほど多用されない。対して、岡山弁や広島弁には「ぼっけぇ(すごい)」、「でぇーれぇ(すごい)」、「ぶち(強調の接頭語)」など、濁音を伴う語が多い。

その「うどん小話」百五十八話では、「ぶっかけ」そのものに言及していて興味深い。源内の親父さんによると第一次開業ブームの頃には存在しなかったメニューということである。源内の高松支店近辺に暴力団の事務所があって、そこの組員たちが「ぬるいだし汁と薬味だけ」のうどんを注文したのが始まりで、それから十年後に専門店が「ぶっかけ」といって供したとまで語っている。

讃岐うどん店の第一次開業ブームは、昭和45(1970)年の大阪万博が契機。1960年代には「ぶっかけ」というメニューはなく、1970年以降から讃岐に定着し始めた、とそこまではいい。が、組員のくだりは眉唾だなぁ。そういう食べ方をしたのは事実だろうが、メニューとは関係ないと思うよ。組員はひとことも「ぶっかけ」なんて言ってないし。十年後って、その暴力団は十年間もその食べ方を広めていたのだろうか? 十年後にやっとどこかの専門店が「ぶっかけ」と名付けて取りあげてくれたっていう(笑)。
その専門店がぶっかけの専門店「大圓」だったらおもしろいのになぁ。

さてさて、そこで岡山県倉敷市のぶっかけ専門店「ふるいち」ですな。昭和三十年には開業してたと思う、って曖昧だったんだが、昭和23(1948)年創業だった。香川県で「ぶっかけ」が定着する二十年以上前に、倉敷駅前で「ぶっかけうどん」を供していたんだから、起源といってもおかしくはないな。いや「ふるいち」が起源かどうかはあんまり重要じゃないね。どうやら香川県には「ぶっかけ」の起源はなさそうだ、ということが重要なのよ。

つまり、「讃岐うどん=ぶっかけ」と宣伝する新規参入店や県外店が、いかにプロとしての自分のテリトリーを真摯に勉強してないかということですよ。讃岐うどんといえばって聞かれれば、温いんなら「釜あげ」、冷たいんなら「生しょうゆ」でしょ。全国展開している「まんまるはなまるうどん」のメニュー表、一番最初が「ぶっかけ」だもんね。

こんな小さなブログで訴えても、十年後には「讃岐うどん=ぶっかけ」は教科書に載るくらいの事実になっているかもしれん。ま、ええか。


麺聖のうどんグルメの旅<http://www.ne.jp/asahi/mensei/udon/index.html>
うどん小話<http://www.gennai.co.jp/u_story.html>