アコギな雑感

麺とアコギをこよなく愛するデザイナーのブログ

瀬戸内国際芸術祭批判に思うこと、なのだ。

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ちょっとガラにもないことを書いてみようと思う。

瀬戸内国際芸術祭なるイベントが2010年夏に開催されたことは記憶に新しい。島々をめぐりながら現代美術の作品や建築物を鑑賞するイベントで、県内外を問わず、国外からも多くの観光客が訪れた。

このイベントの開催費用は、直島福武美術館財団と香川県および関係市町がおよそ折半していることから、税金を投入した費用対効果といった側面で批判的な意見も聞かれた。

僕が敬愛する麺通団団長・田尾和俊さん(四国学院大学)もそうした批判を展開した一人である。四国新聞「論点香川」に「瀬戸内国際芸術祭の決算~県民に投資額と内訳の報告を」(2010年11月14日付)と題した文章を掲載している。


田尾さんは「芸術のことはわからんので芸術祭の善し悪しについてはいわない。税金を投入したことについてのみ批判的検証をおこなう」とのスタンスを貫いていたし、僕自身も島に渡ったわけではないので、思うところはあっても今まで触れることは避けていた。

で、今年の夏に芸術祭以降も現地を訪れる観光客の多さを体験し、なおかつ田尾さんが冗談めかしながらも「なんでもアート言えばええいうもんちゃうんぞ」とパーソナリティを務めるラジオで発言しはじめたので、ちょっと物申したい衝動に駆られているんである。


ちなみに僕自身も「なんでも芸術といえば許される」とは思っていないから、田尾さんの発言を否定するものではないけども、文脈から田尾さんが芸術祭自体に良い印象を持っていないことは明らかである。

田尾さんによる芸術祭批判の論点は次の二点だ。

【論点1】行政は来場者数とかいった情緒的なことを中心に経過や結果を発表し、恣意的な数字を使って成功したように見せる傾向がある。芸術祭の場合、「会場になった7島22カ所と高松の2カ所でカウントした人数を合計」するという、実数とは関係のない累積数で「当初予想の3倍」を謳っている。

【論点2】行政の成果はイベントに限らず「投資とリターン」によって測られるべきだから、行政と議会は瀬戸内国際芸術祭の成果を「投資(税金投入額)」と「リターン(県民にもたらした豊かさ)」で報告すべき。

これについて、僕の考えを次に書いてみたい。

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【論点1】について、行政のイベントにそうした傾向があることは否定しない。来場者数の算出が累積数であって実数でないとの批判ももっともだと思う。だが、オープンスペースの芸術祭で来場者数を算出する場合、累積数を用いる慣習を田尾さんは無視している。

瀬戸内国際芸術祭は行き当たりばったりの三流「町おこし」イベントではない。

総合ディレクターの北川フラムはオープンスペースの芸術祭仕掛け人としてはツワモノ。新潟で3年に1度開催される「大地の芸術祭」はすでに4回を数えて、こちらも国際的な芸術祭として実績を上げている。作品や建築物は山間地域に点在しているので、ほとんどの来場者は自家用車を使っており、チェックポイントの累積数を計測して発表するしかすべがない。

ちなみに大地の芸術祭第4回の総合プロデューサーは福武總一郎、総合ディレクターは北川フラム。瀬戸内国際芸術祭と同じ顔ぶれなんである。

つまり、瀬戸内国際芸術祭は「大地の芸術祭」のノウハウを注入したイベントで、予想来場者数や集計方法などもそうした「慣例のものさし」を使って算出したものなのである。

たしかに累積数が一人歩きして実数がごとき印象を与えるのはまずい。そうしたことに警笛を鳴らす必要はある。だが「慣例のものさし」を想定して算出した来場者(累積)数が、「慣例のものさし」で計った結果、その3倍になった、というのは作り話とはいわない。

むしろ批判を受けた行政が、来場者数を1/3(一人あたり平均3箇所を回っているから)に修正したのは、付け焼き刃的な対応といわざるを得ない。それでは予測来場者数の根拠がなくなるではないか。

そもそも「慣例のものさし」が「いかん!」というなら対案を出して論じるべきだろう。

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あ、ちょっと話がお堅いので、犬島のカフェで食べた「たこめし600円」。。。デフォルトはまつりずしらしいのだが、この日は満員御礼売切御免でたこめしが提供されていた。おいしいし、リーズナブルでしたよ。

さて【論点2】は、行政が「投資とリターン」という全く当たり前の論理をないがしろにすることへの批判。僕も常々思っていることなのでおおいに賛同したいのだけど、ものによってはリターンの証明が極めて難しいこともあるんじゃないかな。

香川県の識者や広告屋たちは、たとえば史上最悪の50万トン強の産業廃棄物問題に揺れる豊島のイメージを、そしてその廃棄物処理をおこなう直島のイメージを、いかなる方法によって改善しえたか? 

「ケガレの島」として1990年代、全国に報道された豊島のイメージ。日本人のケガレ思想は根深い。行政お得意のチャチな記念館ではイメージは変わらないし、啓蒙的な広報活動でも海水浴客は戻らないだろう。ケガレは論理では解消しない。必要なのはハレの思想、芸術というハレによってケガレを払拭するのは、じつはかなり有効な手段なのである。

瀬戸内国際芸術祭が、会期を越えて恒常的に観光客を呼ぶイベントだということを理解していない人は多い。単年度の投資とリターン(田尾さん的には芸術祭会期中のリターンしか考えていないと思われるが…)では芸術祭効果を計ることはできないし、島のイメージアップを正確に試算することは難しい。

ちなみに、広告屋がイベント効果を試算する方法として、イベントを取材したテレビ、新聞・雑誌などの時間数や面積を広告料金に換算する、ってのがあります。瀬戸内国際芸術祭を試算すれば、すぐに数千万規模になると思いますよ。NHKの芸術祭特集も民放に換算すればウン百万レベルですからね。ようするに、数千万規模の広告を香川県は広告費を使わずに発信できた、と考えるのが広告屋の論理です。このあたりは広告代理店の社員だった田尾さんには釈迦に説法だろう。

そう考えると、恒常的な観光スポットを手に入れた香川県と関係市町の負担金2.5億は安いくらいだとおもうが(むしろ福武財団の2.5億は出し過ぎ)、そうしたイメージに関わる厳密なリターンの証明はかなり困難なのだ。

瀬戸内国際芸術祭を行政イベントとして批判的に検証をする必要はおおいにあるだろう。

しかし、そのためにはオープンスペースの来場者数を計るという困難さに「慣例のものさし」を充てて対処していることは理解しないといけないし、会期中だけではなく恒常的にリターンが発生するイベントで、さらに広告効果を厳密に試算することの困難性もふまえなければならない。

少なくとも行政批判と芸術祭の評価はしっかりと分けて考えるべきで、「だから芸術は…」などと水をかけるような批判はかなり危うい、と思うのだがいかがだろう。