アコギな雑感

麺とアコギをこよなく愛するデザイナーのブログ

牛丼と言えば吉野家だが…。

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ちょっと最近忙しくて更新がままならない。

つい先日、昼食によくつかううどん屋の前に「すき屋」ができた。ダイエット中にもかかわらず、うどん屋で「ひやひや大」を食べたあとにどうしても我慢できず、すき屋で「牛丼並」を食べてしまった。最悪。

それはよいとして、やっぱり牛丼と言えば「吉野家」なわけで、提供時間延長のニュースは喜ばしい限りである。あのオレンジ色に黒の組み合わせをみると、パブロフの犬のように「牛丼」を思い浮かべてしまう。しっかりとCI(コーポレート・アイデンティティ)やブランディングができている証拠であるし、それを支えているのが「味」ということなのだろう。

そんなことを言っている僕。テレビアニメ「キン肉マン」の例の「牛丼ひっとすじぃ~」の歌で、この世に「牛丼という食べ物があるらしい」ということを知ったのだけど、吉野家が一度倒産して規模縮小していた時期と重なって、そのものを食べたことがなかった。大学2年の時、神戸に旅行に行って「吉野家」を見つけ、感動して食べたのが最初のことである。

筑波大学の大学院へ進学してからは、宿舎の近くに「吉野家」があってよく利用していた。

……はずであった。

かれこれ1年以上通って、その店が「吉田家」だったことに気がついたのは、店が潰れてからのことだった。僕が店を訪れるたびに注文していた「吉野家定食」は、のちになって「吉田家定食」だったことが判明。でっかい声で注文していたオノレも恥ずかしいが、店員や他の客も微妙感が漂っていたに違いない。

なぜなら、オレンジ色を基調としたコーポレート・カラーに黒字で「吉田家」と記し、店の構造もいたって「吉野家」であり、しいて違いをあげるとすれば、今考えると「吉野家」にはありえないメニューがあったことだろうか。店も客も「まがいもの」であることを了解しているのだから、堂々と「吉野家定食!」と注文する僕のことはどんな風にうつっていただろう。

かくして、僕が本物と信じて疑わなかった「吉田家」は潰れ、店主の奥さんは裏のそば屋で働き始めるという末路を目にした。吉野家からなんらかのアクションがあったのかは定かではない。のちに僕は東京で就職して「吉野家」に大変お世話になることになるんであるが、それに比べると相当まずかったんである。吉田家さんは。

このように、コーポレート・アイデンティティに代表される視覚記号のもつ力はとても大きい。特に本物に対して曖昧な情報しか持たない人への効果は絶大だ、という話。グラフィック・デザインに携わっていると、ひしひしと感じるのでした。