アコギな雑感

麺とアコギをこよなく愛するデザイナーのブログ

最強の食中毒の巻

先週はいろいろあって更新もままなりませんでした。実家の悪寒、失礼、おかんが胃ガンなんぞになりおって、胃袋2/3を摘出してしまった。手術入院する前に、食べたいものを食べておこうと、親父と二人でディナーと洒落込んだおかん。手術の二日後には「腹が減ってきた」とか「美味しいものが食べたい」とか。ま、順調に回復しております。

うちの一族はエンゲル係数(支出総計に対する食費の割合)が高い。貧乏なうえに貧乏性だから、病気になっても食欲が衰えたりはしない。僕から見れば、風邪をひいたら食欲がないとか言う妻が仙人か羽虫のように見えてしまう。風邪をひいたら温かくて美味しいものが食べられるチャンスじゃないか、鍋焼きうどんとか。ま、そいうことで、僕もおかん同様、病気になって食欲が無くなったことはない。ない、と思っていたら、忘れていた。過去最強の食中毒を。

最初の食中毒、中学3年生の「修学旅行集団食中毒事件」については既報。2度目は、大学時代に救急車を呼ぼうか悩みに悩んだ強烈な食中毒があった。3度目の正直、ほんとに死ぬかと思った食中毒の話。

筑波大学の大学院時代。芸術系だった僕は、友人の個展オープニングに呼ばれて、新宿のギャラリーにいた。「個展」というのは一種祝いもののような性格があって、初日には仲間が集まってパーティを催す。一次会はギャラリーで作品を前にして、2次会はそこから流れて居酒屋で本格的に飲み始める。…ここまでは、みんな同じものを食べておるんですわ。

上野発の常磐線最終の時間が来た。これに乗り遅れると駅寝(えきね)することになる。僕は同級のNチャンと福岡から研修に来ていた現職教員のTさんの3人で常磐線のホームにいた。そこで「そば」を喰った。二人は「天ぷらそば」、僕は「月見そば」だ。

……………月、がいかんかった。

そういえば、すでに容器に卵が開けられていた気がする。とにかく、満員の終電のなかでアブラ汗がたらたら。気分が悪いというもんではない。取手(とりで)をこえた付近で異変に気付き、牛久(うしく)の手前で我慢できなくなった。最寄りの土浦(つちうら)までは無理そうだ。

T「なんとか我慢できんとね?」
僕「いや、無理。大変なことになりそうあえdsdめc」

僕は途中下車する覚悟を決めて、Tさんに1万円をタクシー代として借りた。おじ様がいてよかったわぁ、ハート。貧乏学生にそんな金はないけん。福岡弁バリバリのTさんのおかげで、なんとか粗相はまぬがれた。そのあとがね、大変でした。

ほぼ1週間、発熱&嘔吐&下痢で、ず~と寒気がしていて、2畳半ほどの監獄のような宿舎から一歩も出られない。食い物も口にせず、食欲も湧かない。しまいには出るものもなくなってか、透明な粘液に鮮血が混じった便が出るようになって。きゃ~~~、ホラーやろ。まあ、なんとか回復したけどな、自力で。

やばいかもぉ~~っていう場合は僕も救急車を考えた。だけど、最強の食中毒の場合、病院に行かないとやばいとか、何か食べないとだめだとか、「眠ったら死ぬぞぉー」という正常な思考も働かないのであった。

なんか、休眠中書庫「納涼企画!僕的奇譚」向きの話だったか?