アコギな雑感

麺とアコギをこよなく愛するデザイナーのブログ

うどんに「そば湯」がない理由。

自分の常識がどこでも通じると勘違いしている人は多い。関東人にとって「そば」は思い入れのある食べ物だし、ざるそばのシメに「そば湯」を飲まないと喰った気がしないという人もいるだろう。

讃岐うどんブームが盛り上がりつつあった頃、まだその正体が広く知れ渡っていたわけではないので、じいちゃん&息子&孫3世代の家族連れも珍しくはなかった。関東そば文化圏の旅行者が、一般店で「ざる」でも頼もうものなら、食べ終わってもそば湯が出てくるのを待ち、そんなものはないと知ったとき、決まって怪訝な顔つきで首をひねり、しまいには「そば」の優位を感じてほくそ笑むのであった。

うどんには「そば湯」もなければ「うどん湯」もない。なぜか。

そもそも、うどん文化圏は年間通じて温暖で、小麦が採れる肥沃な土地であることが条件となる。一方、そば文化圏は寒暖の差があり、痩せた土地であることが多い。寒さの厳しい地域で、シメの茶ならぬ「そば湯」をすする習慣ができたことは想像に難くないし、塩分の摂取として「つけだし」を飲んでしまう習慣ができたのかもしれない。

しかし、もっとも重要なのは「蕎麦を茹でた湯は、おいしい」ということだ。さらにふみこんで言えば、「ゆで汁がおいしいということは、成分が溶け出てしまっている」ということでもある。

蕎麦の栄養成分であるビタミンB類やルチンは水溶性の物質で、茹でている間に溶け出てしまっている。つまり、そのゆで汁を「つけだし」で調味して飲むことは、栄養成分の摂取という大きな意味があるのだ。決して、蕎麦喰ったあとの儀式や、洒落ているわけではないのである。

さて、うどん。うどんは小麦粉だからして、茹で出るものはほとんど無い。こねるときに加える塩分が抜けるくらいだ。だから、わざわざ「ゆで汁」を飲んでも、得られる栄養分のメリットは全くない。結果的に栄養素の含まれていない「ゆで汁」を飲んでも、美味しくはない、ということなのである。

そばッ喰いらしきオッサンが、「そば湯ありません」てうどん屋で言われてさ、その時見せた顔な。なんか「そばの勝ち」みたいな。ああ、こういう人って、一生そうなんだろうな、幸せなんだなって思いました。